猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ
猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ みのる
昭和25年、私が小学1年生のころ「たま」と名づけた茶トラ猫を飼っていた。
野良の子猫が屋根から降りられなくなって鳴いているのを見つけたので、近所のおじさんに頼んで梯子で助けてもらったのだ。
これが「たま」との出会いであった。
両親に姉二人兄一人と末っ子の私の6人家族、戦後の貧しい生活の中で兵隊経験のある厳格な父がなぜ仔猫を飼うことを許してくれたのかはよく覚えていない。
犬と違って猫は人になつきにくいというけれど、「たま」は特別で幼い私によくなついた。
日中は家で縫物の内職をしていた母の側にいて、学校から帰ってくる私の足音が聞こえると玄関に跳び下りて土間に鎮座し「ニャオー」と出迎えてくれる。
私が家にいるときは片時も離れず、トイレに行くときまでついてくるし、夜は布団に潜りこんできて一緒に寝るという従順ぶりであった。
父がふざけて負いかぶさるように私を押さえつける真似をすると、脱兎のごとく走ってきて、背中を山のようにとんがらせて威嚇のポーズをとり、飛びかからんばかりに「ギャオー、フー!」と叫ぶのである。
そんな彼女も野生本能に目覚めたのか時々夜歩きをするようになった。
私も小学校の高学年になっていた。当時はまだペットの避妊手術などという慣習もなく、やがて彼女が妊娠したことを知った。
黒毛で顔つきの悪い野良のボスが家の周りを徘徊していたので、「きっとあいつに違いない」と思った。
彼女は二匹の赤子を産み落としたが難産で一匹は死産であった。産後の肥立ちも悪く衰弱する一方であった。
やがてある日、私が学校から帰るのを待ちきれず寸前に息を引き取ったという。
私は友だちと道草をして帰りが遅くなり「たま」の最後を見送ってあげられなかったことを三日三晩悔やんだ。
そしてその時にはじめて家族との死別の哀しさを体験したのである。
「たま」の忘れ形見は茶と黒のブチで母親の慈顔とは違って猫相もいまいちだった。一応「たま」二世と名づけたのだがあまりなつかず、二歳ぐらいだったと思うが、ある夜出かけたきり戻らなかった。
犬猫は大好きなので職を退いて毎日が日曜日になった頃から何度も飼いたいという衝動にかられたが、先代「たま」で味わったペットロス症候群がずっとトラウマになっていてどうしても勇気が出なかった。
喜寿みのる、70年前の愛猫「たま」との懐かしい思い出である。
幼い頃から動物大好き、昆虫や小動物大好き少年であった私は、アゲハの幼虫とか蚕を育てたり、牛乳瓶に土を入れて蟻の巣づくりを観察したりとか小動物と関わって遊びつつ命の尊厳を学んだ。
テレビゲームなどない時代である。
果物屋さんから木製のりんご箱をもらってきて、それに金網を貼って十姉妹やインコを飼ったりもした。
家内は毛虫などを見つけると迷わず退治するけれど、どんな害虫でも神が創造された命だと思うと躊躇し私には殺生ができないのである。
孫たちと一緒に庭であそびながら小動物を見つけては生命の尊さを教えているのだけれど、ゴキブリと百足だけは、どうしても好きになれない。
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