枯山を登るは雲の影法師
枯山を登るは雲の影法師 みのる
みのる40歳のときに不思議なご縁によって「俳誌ひいらぎ」主宰の小路紫峡師と出会った。
あとになって紫峡師がクリスチャンで牧師のご子息だと知って驚き、後にこの出会いは決して偶然とかではなくて神の導きだったと確信したのである。
当時の結社の俳人たちは、若くても50歳代、60〜70歳代の人たちが中心で、80歳前後の長老衆が幅をきかしているという集団であった。
そんなかんだで40歳の私はまるで青年扱いの歓迎を受け、初心者の俳句指導を使命としておられた先生は、すぐに特別研修生として指名してくださりその日から無償の猛特訓が始まったのである。
課せられた約束は、吟行で詠むこと、毎週20〜30句を添削用紙に書いて送ること、決して休まないことであった。
日曜日は礼拝があるため、サラリーマンであった私には通勤の車窓風景を写生するか土曜日に吟行するしか作句する時間はない。
そこで自宅から近い須磨浦公園をホームグラウンドと決めて毎土曜日に通っては句づくりに励んだのである。
立ち並ぶ老松の樹間越しに須磨明石の海が展け、後ろを振り向くと六甲連山の端山が見え、足下にはかの日に軍馬が駈け下りたであろう一の谷があった。
何度通っても句材に不足することはなかった。私の詠んだ句の30%くらいは須磨浦公園で詠んだもので、揚句もまたその一である。
公園内には、芭蕉蕪村句碑のほかに子規虚子師弟句碑などがあり、それらを誦しながらタイムスリップして古の詩人たちと心を通わせることも楽しかった。
第二次世界大戦直後、桑原武夫氏が文芸としての俳句を否定し、
俳句は、他に職業を有する老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしいもので、「芸術」というより「芸」であり、しいて芸術の名を要求するなら「第二芸術」とよぶべき…
と批判した。虚子はあえてこれに反論せず、
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
の句をホトトギス発表して、論者に抗うは愚か、強い信念をもって新しい道を進んでいこうではないか…と俳諧の頭として群を牽引していく覚悟を弟子たちに示したのである。
須磨の虚子句碑に対峙しながらそうした歴史に思い巡らせている時に、
春風理高虚子の碑に対しけり みのる
の句を得て、自分もまた忍耐をもって寡黙に努力しようと志を新たにした日のことを懐かしく思う。
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