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エッセイブログ / やまだみのる

舎利塔の霊やすかれと山粧ふ

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舎利塔の霊やすかれと山粧ふ  みのる

JR広島駅の北側に見える二葉山の仏舎利塔は1966年(昭和41年)世界の恒久平和を念願し、原子爆弾の犠牲者の冥福を祈るために建立されたという。とても特徴的な形をしていて紅葉した山の頂上に白銀のごとく尖る姿はとても印象的だ。

あの日から六十数年というときを経て街の風景や自然もすっかり復興した。昭和後期、平成と平穏な時代がつづき、この平和は永遠につづくものだと思うくらい幸せだったのに、昨今の世界情勢を見聞きしていると俄に不安が募る。

「天に唾する」ということばがある。

最近の若い人たちは、このことばを本来とは違った方向に使うむきがあるらしいと聞いた。それは、

「自分より上位に立つような存在を、冒し汚すような行為をする」

という意味なのだそうだ。

いかなる理由があろうとも、人間と人間が国と国が諍うことは決して神様が喜ばれることではない。信仰論はともかくとして天地万物の創造主であられる神様に背く某国の言動、また強硬手段に訴えてそれを抑圧しようとする動き、いづれも「天に唾する」行為と同じだと思う。

その結果は必ず自らに帰依し破滅への道につながることは明白で、世界の歴史がそれを証明している。幼子でもわかるようなこんな簡単な原理になぜ気づかないのか不思議でならない。

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