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蝋梅に綺羅の海光とどきけり
蝋梅に綺羅の海光とどきけり みのる
今から三十年ほどまえ四六時中俳句脳だったころの話である。
週末の朝、いつものように須磨浦公園へ吟行に出かけた。その日は温かい玉日和で須磨の海は眩しい日差しを弾きながら穏やかに縮緬波を畳んでいた。
そろそろ観光ホテルの庭の蝋梅が咲いているころだと足を運ぶと既に先客があった。その人はじっと蝋梅と対峙して微動だに身じろがない。
それが恩師の紫峡先生だとすぐに気づいたけれど真剣な眼差しに近寄りがたいものを直感したので声をかけずにそっとその場を離れた。
その時に見た先生のお姿はいまも瞼の裏に鮮烈に焼きついている。
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利酒に御代りはなし蔵めぐり
利酒に御代りはなし蔵めぐり みのる
二月の吟行句会に備えて灘五郷の酒蔵を下見した。
阪神電車の魚崎駅を降りて、お目当ての菊正宗酒造記念館まで「清流の道」と名づけられた住吉川沿いの堤を歩く。
まだ水量は少なかったけれど亀甲模様に敷かれた川底の石畳をさ走る小気味良い水音は、さながら復活の春を賛美しているようだつた。
開館時間まで少し間があったので酒造記念館の前で待っていると大型バスから降りてきた韓国人と思われる団体が賑やかに到着、なんだか圧倒されてしまって思わずあとづさりしてしまった。
館内の受付のお嬢さんの話では最近は日本人の見学者はほとんどなく韓国からの観光客がほとんどだという。
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浜焚火命ひろひし話など
浜焚火命ひろひし話など みのる
須磨に近い神戸垂水に住み古りて三十年を超えた。
職場の先輩に自称釣名人がおられ、せっかく海の近くに引っ越したのだからと誘われて明石港や垂水漁港の波止釣りにもよくでかけた。
当時はまだ砂浜も残っており魚網や若布を干しておられる海人の姿も見られお喋りにも付き合ってもらえて句を拾うことができた。
近代化が進むとともに、そうした古きよき風情が消えつつあるのは残念である。
ヨーロッパのように歴史遺産を大切に守る…という精神は残念ながら日本には乏しいように思う。俳句もまた然り、死語と化していく季語があとをたたないのは悲しいことだと思う。
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玻璃内は冬日天国海展け
玻璃内は冬日天国海展け みのる
小路紫峡師に特訓を受けていた初学時代、週末になると必ず須磨浦公園に出かけては句を拾った。
あちこち移動するのは時間がもったいない気がしたので車で15分ほどで行けるここを道場だと決めて通い続けた。
瀬戸内とはいえ冬は海風が強く、じっと立っていると体が冷えて心も鈍くなり頭も回転しなくなる。
そんなときは須磨観光ハウスにエスケープして温かいコーヒーをいただきながら推敲するのである。
レストランの大きな玻璃窓からは須磨の海が覧けていて、たいていは穏やかな表情で縮緬波をたたんでいる。
毎週のように通うのでハウスの女将とも仲良くなり、コーヒーが空になった頃に心遣いの柚子湯がそっと運ばれてきて「いい句が詠めましたか?」と句帳をのぞいては励ましてくれるのが嬉しかった。
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生涯の一転機とし日記果つ
生涯の一転機とし日記果つ みのる
月並みな話題になるけれど人の生涯においてターニングポイントになるシーンというのが何度かあると思う。
今まさにその時かと感じるときもあるけが、たいていは来し方を振り返って
“あのときがそうだったかもしれない…”
と思うことのほうが多い。
負いきれないかと思うような試練にも耐えて何とか乗り越えたられたこと、あるいは不本意な方向へ舵を切らざるをえなかったこと…等々。
そのときどきは、自力で乗り越えようと必死に頑張っていたつもりだった。
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