四時随順

エッセイブログ / やまだみのる

  • 初便り一筆箋に二三行

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    初便り一筆箋に二三行  みのる

    「結社ひいらぎ」に在籍していたころ、毎年お正月の5日に親しい句輩が南上加代子さんの西宮のご自宅へ招かれて楽しい一日を過ごします。

    淡路島の大星たかしさんほか数名のひいらぎ重鎮が集まって歌留多や双六で遊び、加代子さん手作りのお節やぜんざいを頂いたあと即興句会をします。

    句会の前には上限300円と決められたプレゼント交換をします。

    必ず自分がもらったプレゼントで1句詠むのが約束で、あとは当日の即興句を詠み合計5句ずつ出句して句会をするのですが意外と佳句が授かるのです。

    揚句もある年のプレゼント交換で一筆箋をもらったときに詠んだ作品なのです。

    家内の実家から宅急便が届き、お母さんからの存問の一筆が添えられていたのを思い出して詠みました。この句を 合評俳句研究 で鑑賞しています。

    • ・双六の出世街道まつしぐら
    • ・十田久の一筆富士や床の春
    • ・膝撫ぜて満を待す手や歌がるた

    上記の作品もみなその折に詠んだものです。十田久というのは青畝師の「畝」という字を解体したもので、親しい方へのお手紙や揮毫されるときなどに阿波野青畝師が書かれる雅号なのです。

    俳句は座の文学と言われ、芭蕉翁の時代の連歌がそのルーツなので、即興句で互いに存問しあうというのが本来のスタイルだと思います。

    考えて考えて絞り出すのでは座の文学とは言えず、17文字でおしゃべりするという感覚こそが本物の俳句だと思うのです。

  • 最澄の一碑立ちたる雪間かな

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    最澄の一碑立ちたる雪間かな  みのる

    私達夫婦の仲人をしてくださった丹波在住の老夫妻が雪深い山裾の施設に入所されたと聞き、雪解けの春を待って家内と二人で訪ねました。

    ご主人は気骨のある人格者でしたが、既に認知の気配があり老いは人となりまでも変えてしまうのかと思うほどの変わりようでした。

    あれこれと繰言の聞き役を果たしたあと祈って辞しましたが心が曇りました。

    その帰路、マイカーの窓越しに鄙びた一末寺の門前に建つ「一隅を照らす」と太く彫られた碑を見つけたのです。

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  • 下萌に碑あり宮水発祥地

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    下萌に碑あり宮水発祥地 みのる

    兵庫県の西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の5つの地域を総称して灘五郷と呼ばれている。

    西宮郷は西宮神社を南へと下ったあたりにあって、この地に清酒の白鹿ブランドを展開する辰馬本家酒造がある。

    みのるの勤務先の創設者であった小林一三翁と辰馬家とはご縁が深かった…と資料で知ったのでそのご縁を頼みにダメ元で西宮の辰馬本社を訪ねた。

    著名俳人を案内して寒造りの俳句を詠みたいのでぜひ工場見学をと嘆願したところ快く承知してもらえたのである。

    紫峡師ご夫妻や淡路島の大星たかしさんほかの重鎮を引率しての吟行に緊張したが、工場近くにある社員保養所を句会場にと提供いただき、帰りには全員に搾りたての酒粕を家苞にと手配してくださり、至れり尽せりのおもてなしに心あたたまる一日となった。

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  • 枯山を登るは雲の影法師

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    枯山を登るは雲の影法師  みのる

    みのる40歳のときに不思議なご縁によって「俳誌ひいらぎ」主宰の小路紫峡師と出会った。

    あとになって紫峡師がクリスチャンで牧師のご子息だと知って驚き、後にこの出会いは決して偶然とかではなくて神の導きだったと確信したのである。

    当時の結社の俳人たちは、若くても50歳代、60〜70歳代の人たちが中心で、80歳前後の長老衆が幅をきかしているという集団であった。

    そんなかんだで40歳の私はまるで青年扱いの歓迎を受け、初心者の俳句指導を使命としておられた先生は、すぐに特別研修生として指名してくださりその日から無償の猛特訓が始まったのである。

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  • 復活の摂理大地の草萌ゆる

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    復活の摂理大地の草萌ゆる  みのる

    草萌ゆる頃になると、焦土となった被災地の荒地に新しい生命を発見した時の湧き上がるような喜びを思い出します。

    震災の思い出を語るにあたっては、結社作家としての道を邁進していた私がなぜ挫折したのかということを告白しなければなりません。

    俳句の学びを初めて七年が過ぎたころのことです。紫峡先生から男性だけの吟行句会を発足せよとの指示が出ました。

    手元の資料を調べてみると平成二年二月に須磨離宮公園で第一回涼風句会が行われています。紫峡先生64歳、みのる47歳という頃のお話です。

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