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初便り一筆箋に二三行
初便り一筆箋に二三行 みのる
「結社ひいらぎ」に在籍していたころ、毎年お正月の5日に親しい句輩が南上加代子さんの西宮のご自宅へ招かれて楽しい一日を過ごします。
淡路島の大星たかしさんほか数名のひいらぎ重鎮が集まって歌留多や双六で遊び、加代子さん手作りのお節やぜんざいを頂いたあと即興句会をします。
句会の前には上限300円と決められたプレゼント交換をします。
必ず自分がもらったプレゼントで1句詠むのが約束で、あとは当日の即興句を詠み合計5句ずつ出句して句会をするのですが意外と佳句が授かるのです。
揚句もある年のプレゼント交換で一筆箋をもらったときに詠んだ作品なのです。
家内の実家から宅急便が届き、お母さんからの存問の一筆が添えられていたのを思い出して詠みました。この句を 合評俳句研究 で鑑賞しています。
- ・双六の出世街道まつしぐら
- ・十田久の一筆富士や床の春
- ・膝撫ぜて満を待す手や歌がるた
上記の作品もみなその折に詠んだものです。十田久というのは青畝師の「畝」という字を解体したもので、親しい方へのお手紙や揮毫されるときなどに阿波野青畝師が書かれる雅号なのです。
俳句は座の文学と言われ、芭蕉翁の時代の連歌がそのルーツなので、即興句で互いに存問しあうというのが本来のスタイルだと思います。
考えて考えて絞り出すのでは座の文学とは言えず、17文字でおしゃべりするという感覚こそが本物の俳句だと思うのです。
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枯山を登るは雲の影法師
枯山を登るは雲の影法師 みのる
みのる40歳のときに不思議なご縁によって「俳誌ひいらぎ」主宰の小路紫峡師と出会った。
あとになって紫峡師がクリスチャンで牧師のご子息だと知って驚き、後にこの出会いは決して偶然とかではなくて神の導きだったと確信したのである。
当時の結社の俳人たちは、若くても50歳代、60〜70歳代の人たちが中心で、80歳前後の長老衆が幅をきかしているという集団であった。
そんなかんだで40歳の私はまるで青年扱いの歓迎を受け、初心者の俳句指導を使命としておられた先生は、すぐに特別研修生として指名してくださりその日から無償の猛特訓が始まったのである。
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大仏の御手をこぼれて寒雀
大仏の御手をこぼれて寒雀 みのる
冬晴の一と日を得て佳句を授からんと平清盛ゆかりの能福寺兵庫大仏を訪ねた。
身の丈11m、青空を背に堂々とそびえるそれは、奈良、鎌倉とともに日本三大仏に数えられる。青銅製と聞くが日に映えた全身は白がねのようだ。
膝の上に置かれた大きな御手の窪のなかで寒雀たちが賑やかに遊んでいる。
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道化師の長き睫毛に風花す
道化師の長き睫毛に風花す みのる
繁華街の交差点でピエロの扮装をしたサンドウイッチマンがポルノ映画のプラカードを担いで立っていた。
当時はバブル景気が一気に弾けて失職する人も多かったので彼もその一人であったかも知れない。
突然狂おしく舞いだした風花が、彼の長いつけ睫毛に留まったのを見て一瞬滑稽だなと感じて立ち止まった。
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猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ
猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ みのる
昭和25年、私が小学1年生のころ「たま」と名づけた茶トラ猫を飼っていた。
野良の子猫が屋根から降りられなくなって鳴いているのを見つけたので、近所のおじさんに頼んで梯子で助けてもらったのだ。
これが「たま」との出会いであった。
両親に姉二人兄一人と末っ子の私の6人家族、戦後の貧しい生活の中で兵隊経験のある厳格な父がなぜ仔猫を飼うことを許してくれたのかはよく覚えていない。
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