四時随順

エッセイブログ / やまだみのる

  • 大仏の御手をこぼれて寒雀

    雀

    大仏の御手をこぼれて寒雀  みのる

    四温晴の一と日を得て佳句を授からんと能福寺の兵庫大仏を訪ねた。

    身の丈11m、青空を背に堂々とそびえるそれは日本三大仏の一つと称される。

    青銅製と聞くが日に映えた全身は白がねのようだ。

    膝の上に置かれた大きな御手の窪のなかで寒雀たちが賑やかに遊んでいる。

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  • 道化師の長き睫毛に風花す

    風花

    道化師の長き睫毛に風花す  みのる

    人通りの多い街中の交差点でピエロの扮装をした人がポルノ映画のプラカードを担いで立っていた。

    バブル景気が弾けて失職する人も多かったので、彼もその一人であったかも知れない。

    突然舞い出した風花が長いつけ睫毛に留まったのを見て一瞬滑稽だなと感じて立ち止まった。

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  • 猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ

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    猫の目のごとくに冬日ひろがりぬ  みのる

    昭和25年、私が小学1年生のころ「たま」と名づけた茶トラ猫を飼っていた。

    野良の子猫が屋根から降りられなくなって鳴いているのを見つけたので、近所のおじさんに頼んで梯子で助けてもらったのだ。

    これが「たま」との出会いであった。

    両親に姉二人兄一人と末っ子の私の6人家族、戦後の貧しい生活の中で兵隊経験のある厳格な父がなぜ仔猫を飼うことを許してくれたのかはよく覚えていない。

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  • 蝋梅に綺羅の海光とどきけり

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    蝋梅に綺羅の海光とどきけり  みのる

    今から三十年ほどまえ四六時中俳句脳だったころの話である。

    週末の朝、いつものように須磨浦公園へ吟行に出かけた。その日は温かい玉日和で須磨の海は眩しい日差しを弾きながら穏やかに縮緬波を畳んでいた。そろそろ観光ホテルの庭の蝋梅が咲いているころだと足を運ぶと既に先客があった。その人はじっと蝋梅と対峙して微動だに身じろがない。

    それが恩師の紫峡先生だとすぐに気づいたけれど真剣な眼差しに近寄りがたいものを直感したので声をかけずにそっとその場を離れた。その時に見た先生のお姿はいまも瞼の裏に鮮烈に焼きついている。

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  • 浜焚火命ひろひし話など

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    浜焚火命ひろひし話など  みのる

    神戸に住み古りて三十年を超えた。職場の先輩に自称釣名人がおられ、せっかく海の近くに引っ越したのだからと誘われて須磨や垂水の波止釣りにもよくでかけた。当時はまだ浜辺で魚網や若布を干しておられる海人の姿も見られてお喋りにも付き合ってもらえ句を拾うことができた。

    近代化が進むのはよいことかもしれないけれど、そうしたよき風情をことごとく犠牲にしてきている。ヨーロッパの建物や文化のように、古きよきものを大切に守りつつ…という精神は残念ながら日本には乏しいと思う。俳句もまた然り、死語と化していく季語があとをたたないのは悲しいことだと思う。

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